仏像と瞑想
面白い仏像フィギュア見つけた!
阿修羅・・・・帝釈天に戦争をしかけて敗れた佛さん。
これ欲しくて8年くらい前、九州国立博物館での阿修羅展の徹夜で並んだ事がある^^
先頭一番になって当日、テレビの取材を受けた。
恥ずかしかったな~
さて本題、仏像はスピリチュアルな観点で学ぶ時や瞑想の奥義が隠されている・・・・
菩薩以上の仏像は目は半眼。
これは己の自我を見つめるしぐさ
手は佛の次元を表す
すべての神秘は自我をみて自我を過ぎるから始まる。
瞑想において精神集中は事前段階・・・集中してはいけません。あとはひたすら自身の観察のみ。
自我を捨てること解脱という。
釈迦はたとえで自身の服を脱ぎ捨てなさいと言った。
キリストは重い石は沈むと言った・・・
これは悪想念のことです。それは思考のことです。
神秘の学徒は思考の先を瞑想で修行する。
何度かブログにも書いたが、寝ても座ってもOK。呼吸は楽に、複式にこだわってはいけない
食事でお腹いっぱいの時は雑念が入りやすいので避けた方がいい。
また夜中が良い。これは主観だが夜中はみんな寝ている・・・
想念が寝ているので気に邪魔されにくいから。
また、元気があり過ぎる時は昼14時~夜中2時
元気が無いときは夜中2時~午前中もしくは昼2時まで。
瞑想に成功すれば、こ世は二重の世界だと、体験し理解する。
仏像は拝んでもいいが、拝むものではない
瞑想の本質を教えてるのです。
無の境地・・・・どんなオカルトにも破れない。