観音
- 孝次郎 林
- 2016年4月11日
- 読了時間: 2分

西日にうつった涅槃の前を歩く観音
仏陀の涅槃に悲しむことなく ただ前を見て歩くだけ
人は生まれもしないし死にもしない生きるだけ
それをわかっているかのように進む
その理を知っているから
背中に彼岸光がさす。
モノばいつか壊れなくなる
在っモノもいつか無になる
残るのは有ったという形だけ
在るか無いかで問うならば
元々、無いところから生まれたので
それは最初からない
在るのは意思だけ
そして観音は彼岸の先を目指す。
概念、信条、精神は高次元の道には邪魔なのです。
しかし誰しもが行ける道ではない
段階がある
佛は人を見捨てないが
神は人を愛するが故に底に落とす
この喩えがライオンが我が子を谷間に落とすように・・・
さて観音・・・
見て観察、聞いて無視。 だから観音。
この行法はある修行に用いられる
何かな?
ヒント!
彼岸の先、神がいるところを目指すにはその法さえも捨てなければならない。
残った一つだけで生きなければならない。
その一つとは?
それは私がカウンセリングでも必ず申しあげる言葉でもあります。
しかし他者を介して聞く言葉よりも人々は
自らの力で理を掴む方が格段に次元も高いのです。
だからアマテラスは岩戸から出ないのではなく出られないのです。
自我の甘さ、欲求、心地に酔いしれては大事な心を見逃します。
これは昔、神様に教えていただいた御教えです
その教えは無言でしたが不思議に理解できました。
西日の光を見て思い出しました
今日の光は直球でした。ニュートラルの光です。